主の奉献の祝日・2月2日第一朗読,契約の使者の派遣、マラ3・1-42012年01月27日

二月二日は、「主の奉献」の祝日なので、マラキ書の「契約の使者の派遣」の箇所が読まれます。
バビロンの捕囚から帰還後、ようやく第二神殿が完成した、前五世紀半ばごろ記されたマラキ書は、祭儀をつかさどる祭司の堕落を告発し、レビ契約の違反、ソフトともいうべき律法と神殿祭儀の欠如を指摘しています。
その改革のため、終末の審きが来る前に、預言者を契約の使者として、派遣すると預言しています。
この契約の使者とは、だれでしょうか。
 
◆契約の使者の派遣、
3:1 見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。
あなたたちが待望している主は/突如、その聖所に来られる。
あなたたちが喜びとしている契約の使者/見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。
3:2 だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。
3:3 彼は精錬する者、銀を清める者として座し/レビの子らを清め/金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を/正しくささげる者となるためである。
3:4 そのとき、ユダとエルサレムの献げ物は/遠い昔の日々に/過ぎ去った年月にそうであったように/主にとって好ましいものとなる。
〔3:5 裁きのために、わたしはあなたたちに近づき/直ちに告発する。呪術を行う者、姦淫する者、偽って誓う者/雇い人の賃金を不正に奪う者/寡婦、孤児、寄留者を苦しめる者/わたしを畏れぬ者らを、と万軍の主は言われる。〕

※ 堕落した祭司たちの社会的不正義を告発(3・5)し、契約の使者を派遣するといっており、旧約では、エリヤの再来を予言していることになっています。
新約ではヨハネとされますが、 民の待望に神が最終的に答えられるのは、キリストご自身をとおしてなのです。
歴史としては、このマラキの預言の後、エズラ、ネヘミヤの宗教改革により、神殿中心のエルサレム宗権による教団国家がペルシャ帝国の支配の中に成立します。
モーセ五書をはじめ、旧約聖書の編集が進められて、ユダヤ教は完成しますが、律法強化、儀礼的遮断、形骸化が進みます。

主の奉献の祝日・2月2日の福音、神殿で献げられる,ルカ2・22-402012年01月27日

二月二日(月)は『主の奉献』の祝日なので、ルカ福音書の関係箇所が読まれます。
主の奉献の祝日は、イエスが生まれて40日後に、律法に従い、幼子イエスが両親に連れられてはじめてエルサレムに行き、神殿で神にささげられたことを記念します。
イスラエルでは、律法により男の子は出産後40日目に清めの式を行い、また、初子はすべて神のもので、神に奉献することになっていました。
このためにヨセフとマリアは、律法の規定を忠実に守り、清めの期間が終わると、初子をささげるためにエルサレムに行き、神殿で不思議な出会い、老人シメオンと、女預言者アンナとの出会いをしたのです。

◆神殿で献げられる、
2:22 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
2:23 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。
2:24 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。
2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
2:27 シメオンが"霊"に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
2:29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。
2:30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
2:31 これは万民のために整えてくださった救いで、2:32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」
2:33 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。
2:34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。
「御覧なさい。
この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
2:35 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
2:36 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、
2:37 夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、2:38 そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
◆ナザレに帰る
2:39 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。
2:40 幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。

※ 老人シメオンは神の救い(イエス)を腕に抱いて、自分が属するユダヤ民族の時代(旧約時代)の終りを告げ、そして「異邦人を照らす啓示の光」として、イエスのもたらす万民の救いの時代(新約時代)を預言します。
そしてまた、「反対を受けるしるし」として、イエスの受難を予告して、母マリアの苦しみを預言します。
私たちは、イエスの誕生をお目出度い「降誕祭」としてお祝いしましたが、 今日の「イエスの奉献」の祝日は、実に、異邦人の救いとなるイエスはまた「受難死」する運命であることを再認識する日でもあります。
なお、この祝日は、エルサレムでは5世紀に、ローマでは7世紀に祝われるようになり、10世紀に西方典礼では、この祝日は「マリアの清めの祝日」として祝われてきました。1960年の典礼刷新で、東方教会の伝統にそって再び「主の奉献の祝日」となったそうです。

年間第四主日第一朗読、預言者を立てる約束、申命記18・15-202012年01月26日

今日の典礼のテーマは、神の言葉を語る権威のある預言者についてです。
第1朗読においては、申命記の中から、モーセが預言者について語ったことばが読まれます。
そして、今日の福音書ではイエスがまさにその権威ある預言者であることを述べています。

◆預言者を立てる約束
18:15 あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。
18:16 このことはすべて、あなたがホレブで、集会の日に、「二度とわたしの神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないようにしてください」とあなたの神、主に求めたことによっている。
18:17 主はそのときわたしに言われた。
「彼らの言うことはもっともである。
18:18 わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。
18:19 彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追及する。
18:20 ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」

※ モーゼは、民が従うべき神託を告げる預言者の役割と責任をを明示します。
契約の書とも呼ばれるこの申命記は、モーセの告別説教とされ、ヤーウエ宗教の核心です。
ヨシヤ王により発見されたとする律法の書(列王下22~23章)は、紀元前7世紀エルサレムで著述された原申命記のことで、これを捕囚後祭司達が修正増補したのが、この申命記とされます。
なお申命記には意外にも、列王記(王下7・12~16)や預言書(イザヤ9・6)などに見られるようなD(申命記史家)資料の特徴である、ダビテ王朝を正統化する重要なメシア思想が見られません。申命記では、17・15に王の規定――必ず、あなたの神、主が選ばれるものを王としなさい――が見られる程度です。

年間第四主日第二朗読、独身の勧め、一コリント7・32-352012年01月26日

先週から結婚についてのパウロの意見が続いています。
「主に喜ばれるために」、パウロ個人としても男女共に独身を勧めています。これは、当時のユダヤ人男性の結婚義務(1テモテ3・2)に反することでした。

◆未婚の人たちに
7:32 思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、7:33 結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、7:34 心が二つに分かれてしまいます。
独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。
7:35 このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。
[・・・・・・ 7:40 しかし、わたしの考えによれば、そのままでいる方がずっと幸福です。わたしも神の霊を受けていると思います。]

※ パウロは続いて(読まれませんが)、どうしても結婚したい人、我慢できない未婚者には結婚を勧め(7・36)、再婚も信者同士なら認めます(7・37)が、「そのままでいるほうがずっと幸福です、7・40」と結論します。
これは、終末が近いという緊迫した当時の特殊事情下で「現状維持」の生き方の選択を勧告しているのであって、パウロは決して結婚や夫婦生活は罪であると言っていません。
この7章は、コリント教会の風儀の乱れを是正する戒めとして受け取ってきましたが、そうではないと最近の研究者はいう。
むしろ「霊的」なキリスト者として、性的行為を禁じ、独身あるいは、禁欲生活をすべきであると、結婚からの自由を主張する者(7・28、36)に対して、その行き過ぎの警告をパウロはしたと解釈する(558頁、女性たちの聖書注解、新教出版社)。
ユダヤ人は結婚を義務づけたが、性を罪悪視するコリント人のなかに、結婚を拒否する者がいた(1テモテ4・3では、結婚禁止が非難されている)。
このような、結婚を忌避するような禁欲主義者は、グノーシス主義者に多く見られたらしい。
しかし、やがて性=罪悪視されて、教会では司祭独身制が導入されるに至ります。

年間第四主日の福音、悪霊を追い出すイエス、マルコ1・21-282012年01月25日

イエスは滞在した湖畔の部落、カファルナウム(ペトロ兄弟の実家所在)で、安息日のある日、初めての説教を、会堂で行います。その説教は、革新的で聞いた人々を驚かせます(1:22 )。律法(モーセ五書)の講釈ではないのです。教えといえば、当時はモーセ五書を意味する律法に決まっていました。律法以外に教えはなかったのです。
イエスのその新しい教えは、律法を超えた権威ある預言者のもので、人々は驚きます。

◆汚れた霊に取りつかれた男をいやす
1:21 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。
1:22 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。
1:23 そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。
1:24 「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」
1:25 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、
1:26 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。
1:27 人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」
1:28 イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

※ しかも、その時、悪魔払いを行います。イエスを「神の聖者」だと見破った悪霊に憑かれた男から、汚れた霊を追い出すほど力があり、「権威のある新しい教え」として、律法にないその権威性・独創性を強調しています(1・27)が、未だその教えの内容については触れません。
この評判はたちまち、ガリラヤ地方の隅々まで広まったと、その驚きを伝えています。
マルコ福音では、教え・み言葉に「驚く」が頻出しまする(1・22、5・20、10・24)。ここでは、聞きなれた律法ではなく、いかに独創的の教えであるかを、マルコは強調して用いています。
マルコはこのように驚く、叱る、怒る、恐れる、などを多用し、マルコの考えを間接的の表現しています。何故驚いたか、なぜ叱り、怒り、恐れたのか。これを考えることが、マルコ福音書の謎を解く重要な鍵となります。
なお、汚れた霊はイエスに対して「かまわないでくれ」と叫びます。権威をもって教えられるイエスへの拒絶反応、自己防衛の叫びです。私たち一人ひとりにも自己防衛という厚い壁があるかもしれません。イエスの権威と力ある言葉により砕いていただきたいものです。

使徒パウロの回心(祝)1月25日の福音、イエスの宣教命令 、 マコ16・15-182012年01月24日

使徒パウロの回心の祝日なので福音書も、弟子の宣教に関係ある箇所が読まれます。
復活したキリストが弟子たちに与えた、全世界へのキリスト教の宣教命令です。
全世界(異邦人社会を含めた)に福音を伝えたパウロが、このキリストの命令に最も忠実な弟子であったことを称え、記念して祝うのです。

◆イエスの宣教命令、マコ16・15-18
[16:14 その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。
復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。〕
16:15 それから、イエスは言われた。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
16:16 信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
16:17 信じる者には次のようなしるしが伴う。
彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。
16:18 手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」

※ パウロは、信じる者として、毒蛇を掴み、毒を飲んでも害を受けず、病人を癒しましたが(使徒28章)、今の私たちは勿論、司祭や司教たちも、もはやこのような霊能に恵まれてはいません。
キリストの名によっても、16・18のようなしるしは、伴いません。
信じることが少ないからでしょうか。それとも、イエスのみ言葉の誤りからでしょうか。
この文節は、もともとマルコ福音書には無くて、後代追加された二つの結びのうちの一つです。
後代の教会の指導者が、宣教者を励ますために付け加えたのでしょうが、誤解される文章です。
マルコ福音書では、信徒を惑わせることを教える指導者は、海の底に沈めてしまえと厳しく断罪しています(マルコ9・42~)が。

使徒パウロの回心(祝)1月25日、サウロの回心 、 使22・3-16 または、9・1-222012年01月24日

1月25日の今日は「パウロの回心」の祝日なので、その箇所が読まれます。
ルカの書いた使徒行録には、「パウロの回心」は二箇所(使22・3-16 または、9・1-22)に書かれていますが、最初に出ているところを見てみます。
熱心なユダヤ教徒であり、聖ステファノの死刑にも賛同し、エルサレムのキリスト教徒を迫害した(使徒言行録7章 参照)彼は、キリスト信者たちを逮捕するためにシリアのダマスコへ向かう途上で、突然光を受け、「なぜ、わたしを迫害するのか」というキリストの声を聞き、地面に投げ出されます。
そのときにパウロは一時的に盲目となり、自らの闇と出会い、開眼とともに回心して、それからは全く180度転換して、異邦人宣教に心身を奉げるに至った物語です。

◆サウロの回心、使9・1-22
9:1 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、9:2 ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。
それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。
9:3 ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
9:4 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
9:5 「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
9:6 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」
9:7 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。
9:8 サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。
9:9 サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。
9:10 ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。
幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。
9:11 すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。
9:12 アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」
9:13 しかし、アナニアは答えた。
「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。
9:14 ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」
9:15 すると、主は言われた。
「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。
9:16 わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」
9:17 そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。
「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」
9:18 すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、 9:19 食事をして元気を取り戻した。
◆サウロ、ダマスコで福音を告げ知らせる
9:19 サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、9:20 すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。
9:21 これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。
「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」
9:22 しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。

※ この物語は、使徒伝では、後にエルサレムで捕らえられたパウロの弁明の場面(使22・3-16)でも繰り返される有名なパウロの回心物語です。
パウロ自身は数ある手紙の中では、異邦人宣教の啓示を受けたことは書いていますが、ダマスコ途上のこのような異常体験について自分では何も書いていていません。
ただ、第三の天に引き上げられたという、超常体験をコリントの手紙第二(12・2)で語っているだけです。
何れにせよ、パウロの最大の功績は、異邦人宣教の創始者であったことでしょう。
ユダヤ人のものであったイエスの福音が、異邦人ひいては、極東の私たちにさえ及んだことの遠因は、このダマスコ途上のパウロの回心にあったのです。
今日、私たちはそのことをこの物語に見出して、お祝いします。

年間第三主日の第一朗読、ニネベの悔い改め、ヨナ3・1-5、102012年01月17日

今日の第一朗読のヨナ書は、北イスラエルが軍事大国アッシリヤの脅威にさらされていた頃の預言者ヨナが、神の命令で仇敵アッシリヤに赴き、その回心を説いた寓話です。
悪の権化のアッシリヤの首都ニネベに行き、回心を求めよとは、いくら神のお告げとはいえ、熱烈な民族主義的預言者のヨナには耐えられません。敬虔なクリスチャン・ブッシュ大統領にバクダットにフセインの回心を求めに行けという神託が下ったようなものです。
しかし、遭難から助けられたヨナは、今度は直ちに神の命令に従います。

◆ニネベの悔い改め
3:1 主の言葉が再びヨナに臨んだ。
3:2 「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ。」
3:3 ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。
3:4 ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」
3:5 すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。
・・・・・・・・
3:10 神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。

※ すると、驚くべきことが起こりました。なんと、異邦人のアッシリヤ人が、ヤーウェの神を畏れて、不倶戴天の敵ニネベが回心するのです。まさかと思っていた事が起きたのです。ヨナには信じられないことです。あの悪の権化のニネベが悔改めるとは。神はこのニネベの回心をみて、懲罰予定を変更します。
ヨナのニネベ崩壊の預言が外れたのです。預言者として失格です。
この後、恥をかいたヨナが大いに怒り、死んでしまいたいと息巻きまいた物語が続きますので、是非旧約聖書の原文をお読みください。
3日3晩大魚の腹の中にいて、助かったという点が、イエスの復活の予型とされているヨナ書です。
しかしよく読むと、敵国をも許す神の広大な愛に反発する、熱烈な愛国者ヨナを戯画化して画いた典型的知恵文学といえます。人間の正義と神の愛の対決です。

なお、今日の典礼のテーマは「神のよびかけ」です。
このあと福音書でも、ペトロたちがイエスの呼び掛けに直ちに答えたことを読みますが、悪の権化ニネベでさえ、神の呼び掛けに応えた。
私たちも、拉致問題では北朝鮮を敵視・憎悪していますが、神の愛から見てはたしてどうなのでしょうか。
キリストの人類愛の呼び掛け、挑戦に果たして応えているのでしょうか。

第三主日第二朗読、執着心からの解放、一コリント7・29-312012年01月17日

コリント教会からの質問にパウロの答えが読まれています。
迫り来る終末に備えての緊急措置として、結婚についても現状維持を勧めてから、残されたこの世での心構えをさとします。
終末はすぐにでも来るという切迫感が当時あったのです。

◆とらわれの心から解放されなさい
[7:25 未婚の人たちについて、わたしは主の指示を受けてはいませんが、主の憐れみにより信任を得ている者として、意見を述べます。
7:26 今危機が迫っている状態にあるので、こうするのがよいとわたしは考えます。つまり、人は現状にとどまっているのがよいのです。
7:27 妻と結ばれているなら、そのつながりを解こうとせず、妻と結ばれていないなら妻を求めてはいけない。
7:28 しかし、あなたが、結婚しても、罪を犯すわけではなく、未婚の女が結婚しても、罪を犯したわけではありません。ただ、結婚する人たちはその身に苦労を負うことになるでしょう。わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくないのです。]
7:29 兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、
7:30 泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、
7:31 世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。

※ 終末が来て、もうすぐ天国に入れるのだから、愛憎・物欲を超越し、世の関わり・執着を絶ち、身辺と思いを整理して、身軽になって待ちなさいということです。
このようにパウロは当時の、終末が近いという緊迫した特殊事情下での生き方の選択を勧告しているのがこの章の背景です。

年間第三主日の福音、四人の漁師を弟子に、マルコ1・14-202012年01月16日

今日のマルコ福音書では、先週読まれたヨハネ福音書とは違う最初の弟子の召命物語を読みます。
イエスは、ヨハネがヘロデに逮捕された後、故郷のガリラヤに戻り、カファルナウムの家を根拠にして、宣教を開始します。
困窮し差別される群衆に神の国の到来を、福音として伝えます。
神の国はもう直ぐ来る。回心(心を180度切り替える)して、「神の国が近い」という解放の希望を信じなさい、と福音活動を始めます。

◆ガリラヤで伝道を始める
1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、
1:15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
◆四人の漁師を弟子にする
1:16 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
1:17 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
1:18 二人はすぐに網を捨てて従った。
1:19 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、
1:20 すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

※、そして、郷里ガラリヤの漁師4人を弟子にします(1・14~20)。神の国運動の発端です。
ガリラヤ人の漁師(、シモンの兄弟(ペトロとアンデレ)、ゼベダイの子(ヤコブとヨハネ兄弟)を、弟子として招くと、彼らは「すぐに」、一切を捨ててイエスの「呼びかけ」に従います。
今日の聖書のみ言葉のテーマは、第一朗読ともに神の声に「直ちに/すぐに」従う、その決心と潔さです。
優柔不断、周囲を気にして踏み切れない臆病な私たちとは大違いです。

なお、マルコ福音書には、「直ちに」という言葉が繰り返されて、非常に緊迫した空気が感じられます。
当時、パックス・ロマーノで、地中海沿岸の殖民都市は、繁栄を享受した。人種と物資の交流増大し、ガリラヤにも及ぶ。しかし、政治的、社会的に見て、パレスチナは火薬庫であった。
ユダヤ・パレスチナの農業構造は、ヘロデ大王時代の過重な税金に加えローマへの貢納、しかも神殿税の極度に重い税負担で崩壊し、農村と都市の対立関係増大。しかもエルサレム神殿が蓄積している莫大な富と資本と、それを所有する大祭司と貴族階級。かれら(サドカイ派)が迎合するローマの圧制で、ユダヤ・パレスチナは大衆的飢餓状況に追い込まれ、この社会的矛盾は爆発寸前であった。
ヘロデ大王死し、強権政治終わると、各地に暴動反乱頻発し、AD6年ユダヤ、ローマの属州になり、人口調査(ルカ2・1)に反対したガリラヤのユダが蜂起(使5・37)するなど、3重の税金にあえぐ大衆はメシヤ待望の、まさに終末的状況のなかで「時は満ちた」と、イエスは、心の方向をさっぱりと切り替えて、「だからこそ、神の国はもう来ている。解放はもうすぐだ」という希望/福音を宣教したのです。